【城跡にまつわる怖い話】気が付いたら城跡にいた

自動車免許を取り立てで彼女と夜に地元の市内をドライブしていた時の体験です。
深夜に彼女とドライブをしていてそろそろ彼女を送り届けようと彼女の自宅方向へ車を走らせていたのですが市内とは言えまだ運転や道に慣れていない私は途中で道を間違えた事に気が付き引き返しました。

どうやら、一キロ程前で信号を左折しなければいけない所をまっすぐきてしまっていました。

戻っている途中で左折するべきだった信号が200メートル程先に見え、その時私は彼女に向ってあの信号を曲がらなきゃいけなかったんだねと話しかけました。

その後、なんとなく運転している意識はあったのですが、隣に乗っていた彼女が「えっ!」という大きな声を上げたことにハッとして車を止めました。

一瞬どこかわからなかったのですが車が止まった先にあった看板を見ると市内にある城跡の入り口に来ていたのです。自分でもなぜこんな所に来ているんだろうとびっくりして怖くなりすぐに車をUターンして引き返しました。

信号が見えた場所まで戻る道中はそれまで走っていた2車線道路ではなく結構狭く曲がりくねった道でしたが私はこんな道を運転してきた記憶がありませんでした。
元の道に戻ると信号が見えた場所から数メートル先の信号のない城跡への一本道に入っていることがわかりました。運転に慣れていないとは言え間違えるにしてはありえない間違いでした。

彼女になんで道中なにも言わなかったのか聞くと何か怖くて何も言えなかったと言っていました。先に見えた信号を曲がらなければ行けないと思っていたのになぜ城跡への道へ入っていってしまったのか、城跡に彷徨う霊に引き寄せられたのではと思いました。

突然した線香の匂いは、虫の知らせだったの? 大好きだったおばあちゃんが亡くなった時の話。

あれはもう20年以上も昔のある寒い冬の夜の事でした。

当時、僕はまだ仕事の関係で東京の三鷹市というところに住んでいました。
毎日、毎日、会社と自宅を往復するだけの退屈な日々でした。
そんなある日、僕は、仕事から帰ってくると、いつものように、ビールを片手にお弁当を食べ、その後、お風呂に入って、AM0:30頃にベッドに入りました。

そして、そのまましばらくのあいだウトウトとしていたのですが、そのうち眠ってしまいました。
しかし、なぜか、眠りが浅く、途中で何度も目が覚めてしまい、結局、AM3:00頃に気分を変えようと近くのコンビニに行きました。

真冬で、しかも真夜中だったので、外は酷く寒かった事をよく覚えています。
そうして、住宅街の人気のない道を独り寒さに凍えながら、歩いていると、やがてコンビニの明かりが見えてきました。

(助かった。)

そう思いながら、僕はさっそく暖かいコンビニの中へと逃げ込みました。
すると・・・。
なぜかコンビニの中に、突然プ~ンと強烈な線香の臭いが充満していたのです。
僕は、当時、このコンビニをよく利用していたのですが、こんな事は初めてでした。

(いったい何だろう? 掃除でもしているのかな?)

そんな事を考えながら、店内を見て回りました。

しかし、掃除しているような様子はまるでなく、そして、仮に掃除していたとしてもこんな臭いがしていた事はかつて一度もありません。

(じゃ、いったいなんなんだろう?)

気になってしまい、店内をくまなく何回も見て回ったのですが、結局、なぜこんな強烈な線香の臭いがしているのか、その原因はわからずじまいでした。

(まぁ、いいか。)

そのうちついにあきらめた僕は、買い物をすませると、自宅のマンションへと戻ってきました。

そして、買ってきたカップラーメンを食べ、ジュースを飲み、再び、ベッドにもぐりこんで、寝ていると、僕は、突然、けたたましい電話のベルに叩き起こされました。

枕元に置いていた携帯で時間を確認してみると、まだAM4:00ほどでした。

(こんな夜中に誰だろう?)

そんな事を考えながら、寝ぼけ眼をこすりつつ、電話に出てみると、開口一番、電話をかけてきた僕の妹が言いました。

「兄ちゃん、おばあちゃんが亡くなりました」

びっくりしました。死因は肺炎でした。

インフルエンザから肺炎を併発してしまったそうです。

そして、その日は、そのまま寝ずに起きていて、朝一番の飛行機で故郷の熊本へと帰りました。

僕には霊感など全くなく、今までに幽霊など一度も見た事がありません。
そして、こんな不思議な体験をした事もそれ以来一度もありません。

 

【事故車の怖い話】霊が乗っていた!? 母が借りた代車が事故車だった。

幼い頃から、自分は何かを感じていた様で、赤ん坊の時は、何もない家の天井を見上げケラケラと笑ったり、知り合いの人が車に乗ると抱っこもされていないのに、その人が乗ってる間中ずっと泣いていたりと、何処か不自然な事をする子供だったようです。

その時は母が車検の為、代車を借りました。
元々母も霊感というものがあった様で悪いものが居る所に行くと体調不良を感じる体質だったようで、その代車に乗っている時も急な体調不良を感じていたそうです。

幼い時、自分は母の運転する車の助手席に、自分から立って乗り込んでいたそうですが、その代車の時は、運転する母にしがみつき、後部座席にも助手席にも行こうとはしませんでした。
おかしいと思った母は自分にどうしたの? と問いかけました。
自分はただ泣いていて、話しにならず、母は車を降りて、家に入った後にもう一度聞きました。

すると。

「おっかい(おっかない)ばあちゃんがのってる」と答えたそうです。

自分が育った家は一戸建てで車を置くスペースはリビングから見える位置で、普通に置いておくと自分が怖がった為、家の前の道に置いておいたそうです。

昔から怖がりでしたが怖いもの見たさもあり、わざわざ背伸びをして窓から外を覗き、怖い怖いと怯えていたそうです。
母も自らの体調不良の事も考え、車会社に代車の事を言うと、その代車は売れない事故車で、助手席に居た老婆が命を落としていたそうです。それ以来、我が家は代車を借りる事はしなくなりました。

【川にまつわる怖い話】お盆休みの川遊びの後に……。

それは、私の友人の話です。

夏休みになり、親たちも盆休みとなって毎年恒例の田舎への里帰りをした時のことでした。

毎年のごとく親戚の子供たちと川へ遊びに行った友人は、岩場から川へ飛び込んだり、釣りをしたりといつものように楽しんでいました。ですが、毎年とすこし違ったこともあったのです。それは、小学生の親戚が溺れた事でした。

溺れたといっても、大人や大学生・高校生も多くいましたし、すぐに救出され、大事には至らなかったそうです。水遊びが好きで、だれもが泳ぎは得意でしたし、なかには水泳選手やスキューバダイビングをしている人もいたりしていたので、子供が溺れたといっても、危なかったな、気をつけよう程度の軽い注意をしただけで、その後も、遊んでいたそうです。

帰宅後の夜中、突然、背中が重くなり、ガタガタと寒気もしたそうです。

そこで、お風呂で体を温めようと服を脱いでいだ自分の背中をみて、友人は青ざめました。両肩に人の手の痕が赤黒くついているのです。しかも、指の一本一本がわかるほどはっきりとしていました。その気持ち悪さに、青ざめながら友人は一晩過ごし、そして、次の日、私に会った時、その背中を見せてきたのです。

私もひどい打撲が黒ずんだような、背後から両手で肩をひくようについた痕をみて、びっくり。私は友人を連れて、曾祖母のところへ行きました。

曾祖母は寺に修行にゆき、長年仏教を信仰していました。曾祖母のお経を二人できき、友人の痣は次の日に、嘘のように消えたそうです。後日談ですが、友人が帰った後、川で水死体が発見されたそうです。

【ビジネスホテルの怖い話】金縛り中に怯える女の人が……。原因は絵の裏にあった。

毎週出張で利用していた三重県にあるとあるビジネスホテルでの出来事です。

今から8年ほど前ですが、たまたま支配人が変わったせいかネット予約した部屋がいつもと違ったことがありました。何号室を直接取れるわけではなく、シングルの部屋のどれかを予約するというシステムだったのです。

部屋の番号が変わるだけで泊まれることには変わりはないので特に気にすることもなく利用していたのですが、異変は夜に起きました。
うとうととしていつの間にか眠りに入ろうとしていたその時、全身が硬直しました。いつもの金縛りです。

自宅でもよくなるので、体の力を抜いて頭の中で大声を出すような感覚で金縛りから抜け出そうとしました。しかしなかなか抜け出すことができません。
どこに「いる」のだろうかと視線だけを泳がせて部屋を探すと、机の下に隠れておびえる女性の姿が。

この人だけではこの強い金縛りはないだろうと探すのですが、結局姿は見当たりませんでした。何とか金縛りから抜けだして、部屋の電気とテレビをつけて水分を補給し、シャワーを浴び直してその日は電気とテレビはそのままにして寝ました。

翌朝、もしかして、と思い部屋に飾られていた絵を裏返して驚きました。

白地に赤い文字の書かれたお札が貼られていたのです。怖い話のテレビ番組なんかでよく見るやつだー、と驚き半分、何故か喜び半分でした。こうやってネタにできますしね(笑)

ホテルを出る前、新しい支配人に「ここ、出たよ。〇号室、壁にお札あったよ。」と言ったのですが、「引継ぎではそういったこと聞いてないんですけどねぇ」と言われてしまいました。

ですが、その後私がその部屋に通されることはありませんでした。

 

【虫の知らせ体験】おもちゃが勝手に鳴ったのは、祖母からのメッセージだった

私の祖母は去年の夏に95歳で亡くなりました。海外に住んでいる私は看取ることもお葬式に参加することもできませんでしたが、祖母の魂を感じるできごとがありました。

私の祖母は70代まで産婆として働いていました。病院に住み込んで働いていたためなかなか会えませんでしたが、いつも優しく仕事にプライドを持っている祖母は私のあこがれでした。いつかは私の赤ちゃんを取り上げてもらいたいと思っていましたが、加齢で働けなくなりその夢は叶いませんでした。

祖母は90歳を過ぎた頃からほとんど寝たきりになり老人ホームに入りました。その頃私は国際結婚をしてフランスに出発する前で、彼女の部屋を訪ねたときには弱った姿に胸が痛みました。

3年後、1歳になった息子を連れて日本に一時帰国し祖母に会いに行きました。祖母の衰弱は進み私の顔も忘れてしまったようでしたが、息子を見せると笑顔になり横になったまま頭をなでてくれました。

育児のアドバイスなど聞きたいことはたくさんあったのですが、ひ孫を見せることができて安心しました。もしかしたらこれで最後になるかもしれないと思いながら部屋を後にし、フランスへ戻りました。

そして去年の8月の終わりのことです。いつものように息子を寝かせ、自分も寝室に向かうと息子の部屋から声が聞こえました。普段は朝までぐっすり眠る子供なのでおかしいなと思って彼の部屋をのぞくと彼はスヤスヤ寝ていました。空耳かと彼の部屋のドアを閉めようとすると、おもちゃの車が突然鳴り出しました。心霊話は苦手ですが、不思議と怖くありませんでした。なぜか祖母が息子に会いに来たのだという確信がありました。

次の日、日本にいる母に電話をすると祖母が亡くなったことを聞かされました。亡くなる前の半年間はほとんど植物状態だったそうです。体から開放され、最後に息子を見に来てくれたと思うと温かい気持ちになりました。

【友達と撮った写真の怖い話】友人の事故と自分が持っていた写真の関係

以前に不思議な体験をした時は写真が重要なキーアイテムでした。

ある時に友人が事故に遭って病院に運ばれたのですが、友人が事故に遭う前は普通に接していたので驚きました。また友人に不吉な印象はなかったと覚えています。

しかし私は友人が事故を起こす前に、以前の写真を見た記憶があります。私は友人と一緒に写真を撮って大切に保管しており、その時は昔の思い出として写真を見るつもりでした。

それを探すと埃が凄かったので直に掃除して、実際に友人の写真は家の奥に保管しておきました。

また写真の中身は汚れていたので、個人的にはその状態にショックを受けました。しかし本当に驚いたのは友人の写真が黒ずんでいたことです。私は写真を見てはっきりと黒い部分があることを認めました。またそれは友人の足の部分だったので感じが悪かったです。

その後は友人に写真のことを伝えないで、普通に遊ぶ機会がありました。私は遊ぶことに夢中になって写真のことは忘れていました。
それから友人が事故に遭って病院で大きな治療を受けたのです。私は友人が歩けない状態になっているのを見て驚きました。そして以前の写真との共通点を見い出したのです。
具体的には写真の黒ずんでいた場所は、友人が事故に遭って治療を受けた部分でした。その事実に気付いた私は更に不安になりました。

しかし友人は再び歩けるようになって嬉しかったです。治療に時間は掛かったので私は心配でした。また治った友人とは普通に話すこともできて良かったです。
その後に私は以前の写真を再び確認しました。すると足の黒ずんでいた影が消えていたので、以前の状態の記憶が曖昧になりました。

今になって思い出すと本当に写真が変化していたのかは疑問です。そして私はこの出来事を友人には伝えていません。

運送会社に勤めていた私の、ある意味きつい体験。

私は長年運送会社に勤めていて、今まで使っていたトラックが廃車になったので、運送会社はこれから乗るトラックはこれを使えと僕に言ってきました。

そのトラックは中古車で他の営業所から手に入れたトラックらしく、何故か側面に怖い猫のシールが貼られていました。まあよそのドライバーが貼ったんだし、まあいいかと思いました。

見た目は時間帯が夜間でしたので、猫の目がとても怖かったです。そのシールは蛍光反射材が貼ってあり、夜に黄色く光ります。正に本物の猫のようです。僕は怖いと思いながらも、それに乗って日々仕事をしていました。

しばらくしてトラックに不具合が出ました。横の扉がうまく開閉できません。扉に猫のシールが貼ってあります。僕はこれはただの経年劣化によるものだと自分を納得させました。
すると今度はエンジンが急にかからない症状がおこりました。修理業者に依頼を頼んで修理しても、もう2回同じ故障が起こりました。

そして配送していて道路を走行中、猫が飛び出してきました。通常ならトラックをかわし走り抜けていったのですが、クラクションを鳴らしたら猫がトラックに戻ってきました。結果、轢き殺してしまったのです。

更にはスリップ事故、バック事故と何回かこのトラックで事故をおこしました。僕の運転の未熟さもあるとおもいますが、その時の心理状況はこれは猫の呪いだと錯覚し、非常に怯えていました。猫のシールを再び見ると、昔より視線が鋭いような気がしていました。

数々の事故・故障と共にそのトラックは廃車になりました。ご冥福をお祈り申し上げますという思いを胸に、今では過去の事を教訓にして、日々安全運転に心がけています。

【金縛りにあう寮】専門学校の寮の何人もが体験した話

私が20歳の頃の話です。当時、私は専門学校の寮に住んでいました。

寮といっても学校が作ったアパートみたいなもので、2階建て計10部屋ありました。左から1号室、2号室と数え、1階1号室は101。2階は201という番号がついていました。寮費の事もあるので1人か2人で住んでいました。ちなみに私は2人で。

同じ部屋の子とは残念ながら性格が全く合わなかったのですが、幸いにも寮内に気の合う友達が3人できました。102に2人、202に1人。1階と2階の子は特に交流がなかったのですが、私はどちらとも仲良くしていました。

寮生活にもすっかり慣れ、私は毎日楽しく暮らしていました。私の部屋では同じ部屋の子がくつろいでるので私は102号室に入り浸っていました。

すると彼女達が不思議な事を言うのです。毎晩眠っていると強烈な金縛りに襲われる……と。怖い話大好きな私は飛びつきました。部屋には2階建てベッドが設置してあるのですが、まず下のベッドの子が金縛りに、続いて上の子がと順番に苦しめられるというのです。

それも毎晩、同じ時間帯に。震えた私は、後日202号室の子に聞いたところ、自分も毎晩同じ時間に金縛りにあうというのです。先程も言いましたが、彼女たちは交流がなかったのでみんなで私をからかおうとしているようには思えませんでした。

その後、冬になり私はこたつで試験勉強をしていました。すると、突然、冷たい手に足首を掴まれたのです。ビックリするし怖いし。同じ部屋の子はベッドでお昼寝中だったのです。
その後、202の友人にこの事を伝えると、他の部屋の子も似たような事にあってるというのです。全員じゃなかったのが気がかりですが……。

後から地元出身の友人に聞くと、ここは昔からあまりいい土地じゃなかったことを聞きました。私は1回しか怖い目にあってないのですが、友人達はしばらく苦しんだようです。
その後学校は閉校になり、寮は普通のアパートになりました。今も誰かが苦しんでいるかは不明です。

【不思議な話】階段から落ちた際に亡くなった祖母の手に導かれた

私は幼い頃から偏食気味で野菜等も一部は食べることができませんでしたし、おまけに肉類や魚も苦手で、カップラーメンやお菓子ばかりを食べ続けているので栄養の不足に陥ることがありました。とりわけ貧血気味なので、朝礼の最中に倒れることもよくありました。

こんな生活を続けているうちに、貧血を起こし学校の階段から落下してしまったのです。打ち所が悪く救急車で運ばれたのですが、しばらく意識が戻らず両親も非常に心配していたそうです。その時に私は虫の知らせというか、夢のようなものを見ました。

母方の祖母はいつも優しく接してくれていて、私はとてもなついていました。祖母は私が12歳の時に亡くなってしまったのですが、その祖母と仲良く裏山でタケノコ採りをしている夢を見たのです。母の実家は山奥のような場所にあり、周りは木々に囲まれています。

そこに竹もたくさん生えており、春に実家に訪れると時には、恒例行事のようにタケノコ採りを祖母と楽しんでいました。祖母とタケノコ採りを終えて、帰り道にさしかかると祖母が手を握り私から離れては絶対にいけないよ、と言いました。後ろを見てみるとまさに崖っぷちのような場所になっていました。祖母は懸命に私の手を握り、崖っぷちから救ってくれたのです。

その後に頭が朦朧としてよくわからなくなりましたが、病室の中で私は寝ていました。階段横に併設されている小さな突起物に頭が当たり、大変危険な状態だったということを後で知らされました。不思議な話ですが、あの時差し伸べてくれた祖母の手が私を助けてくれたのかもしれません。

運送会社に勤めていた私の、ある意味きつい体験。

私は長年運送会社に勤めていて、今まで使っていたトラックが廃車になったので、運送会社はこれから乗るトラックはこれを使えと僕に言ってきました。

そのトラックは中古車で他の営業所から手に入れたトラックらしく、何故か側面に怖い猫のシールが貼られていました。まあよそのドライバーが貼ったんだし、まあいいかと思いました。

見た目は時間帯が夜間でしたので、猫の目がとても怖かったです。そのシールは蛍光反射材が貼ってあり、夜に黄色く光ります。正に本物の猫のようです。僕は怖いと思いながらも、それに乗って日々仕事をしていました。

しばらくしてトラックに不具合が出ました。横の扉がうまく開閉できません。扉に猫のシールが貼ってあります。僕はこれはただの経年劣化によるものだと自分を納得させました。
すると今度はエンジンが急にかからない症状がおこりました。修理業者に依頼を頼んで修理しても、もう2回同じ故障が起こりました。

そして配送していて道路を走行中、猫が飛び出してきました。通常ならトラックをかわし走り抜けていったのですが、クラクションを鳴らしたら猫がトラックに戻ってきました。結果、轢き殺してしまったのです。

更にはスリップ事故、バック事故と何回かこのトラックで事故をおこしました。僕の運転の未熟さもあるとおもいますが、その時の心理状況はこれは猫の呪いだと錯覚し、非常に怯えていました。猫のシールを再び見ると、昔より視線が鋭いような気がしていました。

数々の事故・故障と共にそのトラックは廃車になりました。ご冥福をお祈り申し上げますという思いを胸に、今では過去の事を教訓にして、日々安全運転に心がけています。

夜泣きしない子が夜泣きした日、お義父さんが亡くなった話。

私は俗にいうデキ婚でした。

23歳という社会人として人としてまだまだの私でしたが、息子3人だったため、娘ができて嬉しいとお義父さんは快く迎えてくれました。

これは食べたことある?こんなこと知ってる?と私が知らないことをたくさん教えてくれました。

私にこんなに優しく接してくれるお義父さんでしたから、他の人からも人望が厚い人でした。
妊婦だった私に気を使いしばらくは秘密になってたらしいのですが、私が6ヶ月の頃にお義父さんが膵臓癌でもう手術はできない状態だと伝えられました。私に何ができるか考えてもなにも思いつきませんでしたが、ただ1つ、私は元気な女の子の赤ちゃんを産むことしかできませんでした。

女の子が生まれて、体が辛いのにもかかわらず病院にかけつけてくれたお義父さん。とても喜んでくれて、とても可愛がってくれました。

そんなお義父さんと私はメル友になり、毎日子供の写真を送り時間があればチャットをしていました。お義父さんにどんなメールをすればいいのかわからず、私のまわりに起きた本当にささいなことをつらつらと送っていましたが。そんなメールにもお義父さんは真面目に返信してくれました。季節は巡り、出産して半年の頃…春でした。

お義父さんから写真付きのメールが届きました。桜の木の前でお義母さんと撮った写真でした。そのメールには来年はまだ赤ちゃんが歩いているだろうからみんなでお花見に散歩しようねと書いてありました。

まだ寝返りができたくらいの赤ちゃんでしたので、歩くなんて想像もできなかったですが思い浮かべてみると幸せな気待ちになりました。

その一年後、我が子は歩くようになっていましたが、お義父さんはいませんでした。

どんどん体調が悪くなり、病院も追い出され自宅で寝たきりになったお義父さん。

7月にはいり、もうその時がいつくるのかわからないからと三兄弟は実家に泊まっていました。7月8日の朝5時過ぎ、いつもなら私も寝ている時間でしたがその日は子供が泣いたので起きていました。夜は寝たら朝まで起きない子だったので珍しいなと思ってあやしていたら主人から電話があり、今さっき亡くなったよと。

お義父さんは最後に会いに来てくれたのかなと、その時思いました。私がメールで送っている子供の写真を印刷して毎日行く喫茶店でまわりのお友達に自慢していたくらい愛してくれたお義父さんでしたので、お別れを言いにきてくれたのかなと少しだけ心があたたかくなりました。